悟空の力
前々の更新のときに、本で気持ちの向け方がだいぶ変わって、
気持ちがふっとゆるんだ瞬間があったことを書きました。
まあ、本だけで気持ちが変わるというほど簡単に気持ちに変化が生じるという
ものでもないでしょうが、
今回はそこに行くまでの経緯がちょっと面白くて(~c~)
私は子供に毎日本を読んでおり、
(読み聞かせにはやや大きい子供ですが、私自身この時間はなによりも好きだったりします。)
ここ数か月かけて長編を読んでいます。
それが、今回気持ちを変える一端となった本でした。
それは孫悟空――あの「西遊記」で、いろいろ出版されている西遊記のなかでも
私が読んでいるのは
斉藤洋さんの「西遊記」(原作:呉承恩と言われているが諸説ありとのこと)。
(人気児童書の著者である斉藤さんらしく、日本語が素晴らしいテンポで進み、
とても表現が豊かで、子供が眠らなくなりますが・・・)
西遊記は孫悟空が妖怪をたたきのめして目的地である天竺に向かうアクションストーリー的な
部分が強いイメージがありました。
本場、中国版の孫悟空。大人気だったようです。 堺正明&夏目雅子版の悟空をwebレンタルしようとして 探していたらこれが。。。はじめはだいぶびっくり |
孫悟空 これはバンダイナムコのゲームのキャラらしいですが、 斉藤洋版西遊記での悟空は学問と修業をつんだ非常に男気のある キャラで、超かっこいいんですよ。実際の悟空も、猿の中では相当のハンサムだと書かれています。 |
悟空と検索すると、まちがいなく今はドラゴンボールの悟空で出てきますが、
私は堺正明さんのあの、西遊記を夢中で見た世代なので少し??な感じです(笑)
でもこれまでのアクションストーリー的イメージは一変しました。
西遊記には人間の業や信心、宗教観に至るさまざまな要素が取り入れられた
真理のようなものが多々ありました。
経験も知識も積んだ悟空が、高僧 玄奘三蔵の弟子として仕えるわけで、
当然ながら仏教の話も随所に登場します。
三蔵法師さま 玄奘三蔵、色白で整ったお顔らしい。 中国⇒インド巡礼、仏像などを中国にもって帰還。仏教研究、経典の中国語への翻訳などの 大事業を成し遂げる。著した「大唐西域記」が「西遊記」のもとになったという。 |
さて
前置きが長かったですね、本題---私はこの孫悟空の数々のセリフから
ふっとブッダの教えになにかを感じたのです。
般若心経が良く出てくるので、まずはそれをまったくの初心者でもわかるように
書いてある本を探してみました。
佐々木閑先生の本は、難しいはずのところを初めて仏教に触れるヒトにも理解しやすく
書かれています。
現在は花園大学の教授で仏教学者でおられますが、
もともとは工学部で学んだばりばりの理系の方なのです。
そのためなのか、現象をあくまでも「原因と結果」としてとらえるようなわかりやすさがあり、
頭の中にすっとはいってきます。
ブッダの教えを説明するときも客観的――しごく理論的です。
(前に般若心経について、お寺の住職が書いた本を読んだことがあるのですが、
ご自分の経験値というカラーのメガネがかかっていて、
どうにも読みづらかったことがありました。途中でやめちゃいました(苦笑;)
またスピリチュアリティは信じていますが、すべてをそこに帰結させてしまうのは、
どちらかというと苦手。
前世のカルマを背負っているから現世がつらい。。。とか。
佐々木先生の本の中では、そういった通念的に言われている
因縁や輪廻の真実にもわかりやすい説明で書いてくれています。
ブッダが悟りの境地にたどり着くまで、
その境地にいたるときの脳のはたらきとの関連性なども絡めたものもあり、
仏教の教義を知るというより、心理学、まさに脳科学にも近いものを感じました。
ブッダの教えは。。。私には「自分のなかにある力」でとことん考え、
「自分のなか」に解決する能力がある、と言われたような気がしました。
祈りをささげて神になんとかしていただく、というのではなく
実は悩み呼び込むことも、それを解決する力も
自分のなかにあると。
つまり自分の悩みはほかならぬ自分が作っているとも。
霧がかっていたことが、すっと悟空の吹く風で飛んでいったような瞬間でした。
考えても考えてもわからないこと、
もうそれは放っておく(笑)
時間は動いています(良くも悪くも「諸行無常」)、時間による変化もなにかに影響をするのですから。
思わず、子供に「この本を読ませてもらったおかげでお話も楽しめたし、
楽しい以外に母はたくさんいろんなことを教えてもらえたよ、ありがとう」と言ってしまったほど。
楽しい以外に母はたくさんいろんなことを教えてもらえたよ、ありがとう」と言ってしまったほど。
まだ西遊記は継続中、そして佐々木先生や中村元先生(故人、哲学者で仏教・インド哲学の巨匠といわれています)
のなるべくわかりやすい著書を探しては読んでいたりします。
だからといって仏教徒になる、というわけではなく(’’;)
人生を生きるための機知がつまっているこの考えを、宗教の枠だけにとどめることは、
私にはできないもので・・・。
(考えてみると、どの宗教ももともとは「神」はひとり、でも解釈の違いによっていろんな宗派になり、
歴史上大きな戦争も何度も起きているし、現在も。どうにも複雑な気持ち・・・)
そろそろ終わりです、おつかれさまでした(笑)
まことに長々とおつきあいいただきました |
これまでもカトリック系の大学で宗教学などを(必修なので)勉強したり、
興味本位で世界のさまざまな宗教についてちょっとだけ読んだりもしたのですが、
私の興味のなかに当時仏教はなかったんですね~
(日本だとどうしても死に関連する暗いイメージが強くて)
今になって、ブッダの考えについて知る機会を得、
そしてそれによって一時期の不安や戸惑いなどの気持ちが軽くなれたこと、
それは意外なところでみつけたチャンスからだったこと、
という巡り合わせ(!)があるなんて思いもよらないことでした。
でもそれは、
「なるべくしてこうなった」のだと。
それもブッダの教えの一つなのかもしれません。
佐々木先生の講義を聴いてみたいなぁ・・・